『CCさくら』と『アイドル』に脳を破壊されている男の日記

 まず初めに私がこんなところに文を書こうと思ったのは、今の感情をどこかに吐き出さないとどうにかしてしまいそうだったからだ。タイトルにある通り『カードキャプターさくら』(以下、CCさくら)とYOASOBIの『アイドル』の一説に情緒を壊されているということ、その理由をつらつらと書き並べる。

そして、文が読みにくい・個人の思想の話なので不快感を抱くかもしれないことは注意してもらいたい。

 

 まず一つ目にCCさくらについて大まかな説明をすると、主人公の木之本桜がクロウカードと呼ばれる意志を持つ不思議なカードをクロウカードの番人ケルベロスと一緒に収集するという物語なのだが、作品の大きな特徴として誰も傷つかないような優しい世界観があげられる。

 かといって悲しみが一切無いような物語では無いことを付け加えておきたい。

本題のCCさくらの何が私をおかしくさせているか分析したいのだが、正直感情がまとまっていないのでなんと言えばいい。一つ挙げるとするならば作品が纏う綺麗な雰囲気がひどく私を狂わせているのだと思う。

 皆が想像以上に綺麗なものを見た時に抱く感情はそれぞれだと思うが、私が抱いたのはこの綺麗なものを消費している自分に耐えられない、という感情だったと思う。綺麗なものを消費するのも嫌だったし、恐らくこの作品を一回しか見ないであろう自分も嫌だった、一度見てああ感動したな。それで終わりというのは何か嫌だったのだ。

これに対して解決策は今のところ思いついてないし、どうにかしてなくせる感情なのでは無いと思う。ここまでつらつら書いておいてCCさくらをまだ全編見終えていないというのはなかなかに面白い話だと思うのだ。完走したらまた何か書くかもしれない……。

 

続いてYOASOBIの『アイドル』についてなのだが恐らく皆様も知っての通り『推しの子』のOP曲になっている、推しの子については1年前ほどに1話だけ読んでこの作品はやばいと思い手を出さなくなったのだが、つい先日Twitterにアップロードされていた真ゲッターロボ対ネオゲッターロボの主題歌『STORM』と先述の『アイドル』を掛け合わせた『完璧で究極のゲッター』なる動画のおかげで再び推しの子と邂逅してしまうことになったのだ。

まさか、二日間頭を悩まされるきっかけがMAD動画なんて誰が思おうかって話だ、笑ってしまうよ。

本題に入ると、アイドルの歌詞の一節「誰もが目を奪われてく君は完璧で究極のアイドル」 わかるかこの歌詞の奇妙さが、アイドルは実在してはいるが偶像なのだそのうえ完璧で究極のアイドルらしい。つまらない話だが私は精神的に辛い時期に「デレステ」に心を救われたのだ皆が幸せで優しいシンデレラストーリーに心を救われたのだ。その影響なのかもしれないが、完璧で究極であるというのは私の抱くのイメージ像からかけ離れてしまうのだ、あくまで完璧で究極というのは歌詞からも分かるとおり誰かの主観に基づいているものだと分かるがそれでも耐えられないのだ。

ここまで私の情緒を壊してしまったのだから、私の頭の中からは「完璧で究極のアイドル」の概念は否定するかどこかへやってしまわないともう私の方が持たないので、アイドルは欠点があるから人間らしくいじらしいのであって、完璧で究極を求めるものではないと心を閉ざしてしまったのだ。見ているかAyase、あなたが書いた詩はここまで人を狂わせているぞ。

 

簡単にまとめるとするのならば、今まで感じたことのない感情にどう向き合うか困っているといったところだろう、成長期で悩んでいる中高生でもあるまいに。

この感情との付き合い方はこれから受け入れることができるのかもしれないし、一生付き合っていくものかもわからない、今はただ広いネットの海に吐き出せて良かったなと思っているだけだ。

結びとして、ここまで読んでくださった稀有な人にはお礼申し上げたい、これ以降このブログは続くかわからないがもしかしたらまた狂った時に訪れるかもしれない。

では